わが妻、卑弥呼と稲作農業

わが妻、卑弥呼は、初めてわたしと出会った頃は、美しくなくはなかったが、みすぼらしい身なりをした、ただの若い女だった。生まれつき王になる資格を備えているというわけではない、たたき上げの大王だったのだけれど、彼女がここまでのぼりつめたのは、その忍耐力ゆえだった。


今では想像もつかないかもしれないが、昔の彼女の忍耐力は異常とも言えるほどだった。彼女は、まずすぎて誰も食べない部位を食べて暮らしていた。いくら抜いても細かい毛が残ってしまう鹿の皮や、石みたいに硬くて、誰もが残す熊のかかとなどをあえて食べた。もちろん、硬い部分よりも硬くない部分の方が好きなのだけれど、誰も食べない部分を常食することで、彼女は狩りに参加したり結婚して家庭に入ったりしなくても生きていくことができたのだった。
のんびり暮らすことの代償として、彼女の顎は縄文人を思わせるほど大きく発達し、周囲から「弥生人じゃないみたい」と揶揄されることも多くなってきた。悔しさのあまり、夜な夜な布団を噛みしめることもあったが、それがさらに事態を悪化させることに気づいてからは、平べったい二枚の石で布団を挟んでこすることで、歯ぎしりの代わりとしたのだった。
そんな彼女に転機が訪れた。それが稲作だった。


稲穂といえば、それまでは、自生しているものを収穫して食べるだけだった。朝鮮から渡ってきた人々が、「これを今食べずに植えたら、半年先にはたくさんの稲穂が手に入る。枯らさないように水をやって待ち続けるのだ」という話をしていたのだけれど、稲を盗む気に違いないと疑うだけで、本気にする者はいなかった。
ある日、卑弥呼はその話を聞きつけ、「これは本当の話だ」と直感的に判断し、忘れないようにと、太股に木の枝で傷をつけ「稲の水やり 毎日 幸せ」と記した。
帰り道に見つけた稲を収穫し、月明かりに照らされた太股に浮かぶ紫色の文字を見ながら、稲を家のそばに植え、毎日水遣りを続けた。すると半年後、朝鮮人の言うとおり、稲穂ができていた。これをまた植えて…という作業を、鹿の骨をしゃぶりながら根気よく繰り返し、苦節三年あまり、卑弥呼の栽培する稲は、数十人を食べさせることができる量になった。


卑弥呼はその稲をもとに物々交換をして、長者になり、奴卑を買った。その後、奴卑に耕作をさせ、悠々自適の暮らしができるまでに至った。
今では硬い物など絶対口にしないし、かつての忍耐力もどこかへ行ってしまったらしく、平気で人の首をはねる大王になってしまったのは少し残念なことだと思う。