わが妻、卑弥呼による謎の呼びかけ


「みんな!収穫の季節だよ!」


卑弥呼は、国民たちに威勢よく呼びかけてみたかったのに、肝心の呼びかけるべき内容が見つからなかったらしく、唇寒さに「収穫の季節」という言葉を持ち出したのだった。しかし残念ながら、この春には稲以外のものを植えた覚えはないし、周囲を見渡しても果実のようなものは何も見あたらない。
「収穫…ですか。何を収穫いたしましょう?」
卑弥呼はしまったという顔をしたが、こういう時でも、自説を撤回したことがない。
「いやぁああ、見渡す限りの緑、むしろ収穫できないものがないくらいじゃないか。何でこそんな愚問を…食べたことがないから収穫しません、というのは創造力を放棄しているに等しいだろう。これからは斬新な発想がないと国など滅びてしまう。この国の将来が心配でならない!」
と言い張るものだから、ここ数ヶ月、あらゆるものを収穫させられて腰が痛くて、日記が書けなかった。言われてすぐ、国民たちは適当に周囲の草をそれらしく石器で切り取って、口に運んでみたのだが、どれも一様に苦そうだった。さすが、いまだ名付けられていない草たちには、名付けられていない理由があるものだ、と感心したのだけれど、収穫したものを、使う術なく野ざらしにしているところを見た卑弥呼が、
「何やってるの。これだったら収穫じゃなくて草刈りじゃないか!」
と激怒したので、草の先端などの柔らかい部分を適当に千切って煮、人々はそれを「名もなき草煮」と呼んで毎朝の食事とした。卑弥呼はそれを見て大いに満足した。自分の一声で、新しい作物が発見され、国民の食生活が豊かになったと思ったのだった。
しかし、これにはからくりがあった。人々は、名もなき草煮を入れる土器の底に穴を開けていたのだった。食事の時に、名もなき草煮を盛りつけ、鹿の可愛らしさなどについて語りながら食べているうちに穴から草煮がこぼれて、食べ終わるころには草煮を入れた土器も空になるという仕組みだ。そして流れた草煮は土の養分となり、新しい雑草を育む土壌をつくる。しばらくすると、より雑な感じの草が生えてくる。


そこでふと思った。この名もない雑草の一生も、人間の一生も、結局のところは同じで、無駄に生まれて無駄に死んでいき、また無駄な命を作るのではないかと。


馬鹿なことを考えているうちに、腰痛で座っているのが辛くなってきたので、横たわったらそのまま寝てしまった。

わが妻、卑弥呼は花粉症になりたガール

わが妻、卑弥呼は花粉症になりたがっていた。
どうやら、一部の人しかかかっていない、最先端の病気を患ってみたくなったらしい。花を見つけると花に顔を近づけ、鼻の内側のじめじめした粘膜に、おしべをこすりつけて、黄色い粉を受粉させ、様子を伺ったものの、まったく変化がない。
「わたしも、春なのに涙が止まらないといって愚痴をこぼしたいものだわ…」
と呟く始末だった。どうやら「幸せであるはずの春という季節に場違いに涙を流している」という状態に趣を感じたようなのだったが、花粉症の発見の経緯について思い出すと、思わず身の毛がよだってしまう。


数年前から、国の祭りなどのめでたい席でも、涙を流している人がいた。毎年春になると泣くのである。卑弥呼の虫の居所が悪い時は
「春なのに泣くなんて、縁起でもない。もう涙が出ないようにしてやるよ」
と言って、首をはねさせたりしたのだった。涙は出なかったが血が飛び散って大変だった。数年経ってはじめて、悲しくて泣いているわけではないということが判明したが、本当の原因については謎に包まれていたので、さまざまな実験を行った。
泣いている人を見つけては小屋に入れて、干すのに失敗して腐ってしまった魚や、本体がこの世にすでにいないということにまだ気づいていない鈍感な蚤がびっしりついた毛皮などを近づけて、涙がひどくなるか実験した。さまざまな有害物質で人体実験を行った結果、どうやら植物、特に杉の花粉が問題だ、ということになった。その年から、縁起の良し悪しの問題ではない、ということで、涙を流している者も生きていけることになった。


ただし、面倒なことに、しじゅう
「ねえねえ、一つ質問なんだけど、わたしは花粉症かしら」
と聞き―たしかに質問は一つなのだけれど、その一つの質問を百回は繰り返しているのだった―考えすぎですよなどと言おうものなら惨劇が始まるので、ちょっと鼻をこすっただけで、取り巻きが
「ああ卑弥呼様、これは花粉症に違いないです。お大事に」
とおだてるようになってしまった。
「えーどうしようかなぁ…」
と、卑弥呼もうれしそうだ。
取り巻きがいるときはまだいい。くしゃみをしたとき、周囲に誰もいないときは、わたしが花粉症でもない卑弥呼に花粉症はつらかろうとねぎらわなければならないので、早く夏がやってこないか待ち遠しい気持ちだけれど、夏になったらなったで、また別の病気になりたがることは容易に想像がついた。

わが妻、卑弥呼の「勝ち組」話

わが妻、卑弥呼の口癖はいろいろあり、その一つ一つが耐えがたいのだけど、もっとも不快な口癖は「わたしは勝ち組」だと思う。


そもそも、「勝ち組」の「勝ち」はともかく、「組」がわからない。卑弥呼が大王で、他は卑弥呼に従うしかないのだから、「勝ち人」であって「勝ち組」と複数形にする必要はないはずで、実は独り勝ちの状況を申し訳なく思っているのかもしれない、と勘ぐってしまう。そんなぼくの気持ちは知るよしもなく、卑弥呼は「勝ち組」「勝ち組」と朝から晩まで騒々しい。


彼女が勝っているのは周知の事実で、それを確認すればするほど「何度も確認しなければならないということは、もしかしたら本当は勝っていないのか?」という疑念が沸いてくる。真実を100回言えば、それは嘘になる。いくら言いたくなったとしても我慢した方がよいと卑弥呼に伝えたら、
「それは困る。言わないと禿げるんじゃないかと思う。言いたい放題言っているが、周りの人には聞こえないようにしたい。何かいい方法はない?もし、いい案がないのであれば、国民の耳をそぎ落として、音のない世界に住んでもらうしかないわ」
平然とそんなことをいう。いくらなんでも残虐すぎるし、「わたしは勝ち組」が聞こえないのはよいけど、敵が襲ってきたときの音が聞こえないと困るので、ぼくはない知恵を絞った。
数日の間、考えて、ぼくが思いついたのは、「勝ち組」という言葉を、別の言葉とぶつけると、別の言葉に聞こえるのではないかという仮説だった。

さっそく、奴卑に命じて、勝ち組勝ち組と叫ばせた。勝ち組でない彼にこんな言葉を叫ばせるのも酷な話だけれど、実験が成功すれば、この不快な言葉を聞く機会も減るだろう。ぼくはいろんな言葉を試してみた。最初は適当にわめいてかき消そうとしていたのだけど、奴卑は、かき消されまいとなぜか努力し始めたので、まったく無駄に終わった。
しばらく次の手を考え、もしや、と思い、意味的に逆の言葉をぶつけてみた。奴卑の言う瞬間に合わせ、負け組負け組とぼくは叫んだのだった。


すると、元の音とは似ても似つかない大きな音の固まりが発生し、耳が破れそうなくらいになった。それに耐えながらも何度か続けると、近くの家の軒先に干してあったイカたちが、一斉にいい味がしそうな白い粉を吹き始めた。その粉を口にすると、体験したことのない旨味が全身を駆け抜けた。まるでつま先すらも舌であるかのように、汗ではない液体を分泌していたほどだった。ぼくは慌てて実験を中止し、奴卑たちを2人1組にしてイカの前で叫ばせ、大量の白い粉を生産させることにした。


素晴らしい粉末を得られた今となっては、卑弥呼の口癖など大した問題ではないが、奴卑たちが、一日中「勝ち組」と叫んでいるため、感覚が麻痺し、意味を伴わない音声の集合にしか聞こえなくなってしまったので、結果として「勝ち組」という言葉は意味を失うこととなった。

わが妻、卑弥呼と稲作農業

わが妻、卑弥呼は、初めてわたしと出会った頃は、美しくなくはなかったが、みすぼらしい身なりをした、ただの若い女だった。生まれつき王になる資格を備えているというわけではない、たたき上げの大王だったのだけれど、彼女がここまでのぼりつめたのは、その忍耐力ゆえだった。


今では想像もつかないかもしれないが、昔の彼女の忍耐力は異常とも言えるほどだった。彼女は、まずすぎて誰も食べない部位を食べて暮らしていた。いくら抜いても細かい毛が残ってしまう鹿の皮や、石みたいに硬くて、誰もが残す熊のかかとなどをあえて食べた。もちろん、硬い部分よりも硬くない部分の方が好きなのだけれど、誰も食べない部分を常食することで、彼女は狩りに参加したり結婚して家庭に入ったりしなくても生きていくことができたのだった。
のんびり暮らすことの代償として、彼女の顎は縄文人を思わせるほど大きく発達し、周囲から「弥生人じゃないみたい」と揶揄されることも多くなってきた。悔しさのあまり、夜な夜な布団を噛みしめることもあったが、それがさらに事態を悪化させることに気づいてからは、平べったい二枚の石で布団を挟んでこすることで、歯ぎしりの代わりとしたのだった。
そんな彼女に転機が訪れた。それが稲作だった。


稲穂といえば、それまでは、自生しているものを収穫して食べるだけだった。朝鮮から渡ってきた人々が、「これを今食べずに植えたら、半年先にはたくさんの稲穂が手に入る。枯らさないように水をやって待ち続けるのだ」という話をしていたのだけれど、稲を盗む気に違いないと疑うだけで、本気にする者はいなかった。
ある日、卑弥呼はその話を聞きつけ、「これは本当の話だ」と直感的に判断し、忘れないようにと、太股に木の枝で傷をつけ「稲の水やり 毎日 幸せ」と記した。
帰り道に見つけた稲を収穫し、月明かりに照らされた太股に浮かぶ紫色の文字を見ながら、稲を家のそばに植え、毎日水遣りを続けた。すると半年後、朝鮮人の言うとおり、稲穂ができていた。これをまた植えて…という作業を、鹿の骨をしゃぶりながら根気よく繰り返し、苦節三年あまり、卑弥呼の栽培する稲は、数十人を食べさせることができる量になった。


卑弥呼はその稲をもとに物々交換をして、長者になり、奴卑を買った。その後、奴卑に耕作をさせ、悠々自適の暮らしができるまでに至った。
今では硬い物など絶対口にしないし、かつての忍耐力もどこかへ行ってしまったらしく、平気で人の首をはねる大王になってしまったのは少し残念なことだと思う。

わが妻、卑弥呼とくだもの祭り

まだまだ寒い日も多いが、日一日と、確実に気温が上がってきたように思える。真冬の間は、分厚い熊の毛皮を着ていた人々も、軽量でお洒落な鹿の毛皮に着替え始めた。お調子者は、特製の、角が着いたままの毛皮を着て肩で風を切って闊歩している。春はもうそこまで来ている。


しかし卑弥呼の、
「あと一ヶ月もすると、くだもの祭りだねぇ」
という一言で、たちまち周囲は、真冬を思わせる凍てついた空気に包まれてしまった。


「くだもの祭り」とは、かつては皆が楽しみにする祭りだった。腐りかけの蜜柑の中に石を仕込んで殺傷力を高めたものを、文句を言いながら川に向かって投げる。蜜柑が当たって浮かび上がってきた間抜けな魚を捕獲し、それを焼いて食べたあと、デザートとして苺を皆で頬張るという祭りで、この祭りのために川面めがけて石を投げ、命中率を高めたりしていたものだった。しかし、「おいしいだけではつまらない」と思った卑弥呼が、
「では、わたしを果物にたとえて、意外だけどうれしい果物を挙げた者に、春の果物を与えよう」
と言って、その歳から木の板に絵と果物の名前を彫って、それを競い合うという祭りになった。


しかし誰もが、卑弥呼を畏れ、当たり障りのない果物の名を言った。皆が一様にぶどうに喩えた。あまりにも退屈な予定調和に激怒した卑弥呼は、ぶどうに喩えた者の首をはね、木の枝に刺して、「ぶどうになりたかった人たち」という看板をつけて家の玄関に飾ることにした。


次の年から、人々は、恐怖に追い立てられるように喩えの創意工夫合戦を行った。あえて果物という領域を超えて、ウサギなどの動物に喩える者もいれば、架空の果物に喩える者もいた。中でも最も卑弥呼を満足させたのは、去年挙げられた「ミミン」という架空の果物で、バラの香りとミカンの手軽さを備えており、猫の耳のような形状のものがついているというものだった。柑橘系の果物に喩えることで若さを、バラに喩えることで優美さを、猫に喩えることで気まぐれな小悪魔らしさを。今年はこれを上回る架空の果物を思いつかなければ、どんな無理難題を押しつけてくるかわからない。


暖かくなってきたら、卑弥呼をどんな果物に喩えようか。国民の一人一人が、狩りや農作業の合間に唸りながら知恵を振り絞る。これから一ヶ月、気温の上昇とは裏腹に、陰鬱な日々が続きそうだ。

わが妻、卑弥呼が女の裸に興味を持つ

わが妻、卑弥呼が、最近、女性の裸に興味を持っている。もちろんそれは、性的な興味からではなかった。卑弥呼は男根模様のあしらわれた麻製の布団をかぶり、亀頭の形によく似た枕で、尿道に相当する部分に後頭部をはめ込んで寝るほどの男好きなので、女を抱きたいと思うことはないはずだった。彼女の関心の中心は、自分の体と比べてあの女はどうなのか、ということと、自分が女としてどれだけの価値があるかということだった。
もちろん王だから、女たちに命じて服を脱がせたりするのは可能なのだけれど、それはどうも恥ずかしいと思っているらしく、肉や魚に特製の下剤をまぶして食べさせるという、なんとも回りくどい方法で自然に服を脱がせようとしていた。

わが妻、卑弥呼特製の下剤は、鼻糞と、丹念に毛を抜いた毛虫を混ぜてすりつぶして作る。毛虫にもともと下痢になる成分が含まれているのだけれど、それをそのまま口にすると苦すぎて、異物が入っていると見抜かれてしまうので、味をまろやかにするために鼻糞を入れる。乱獲が過ぎると、鼻糞は底をついてしまう。夢中で奥まで掘ってしまい、血が出てしまい、血が混じった鼻糞を混ぜざるを得ないことも多かった。
なお、卑弥呼は料理はまったくしないので、この下剤は、彼女唯一の手料理に相当すると言っていいだろう。仮に各国の王が集まって、手料理を振る舞うホームパーティが執り行われることがあったら大騒ぎになるはずだから、そのようなパーティの開催は何としてでも阻止したいと思う。

肉や魚を振る舞われた女性は、卑弥呼の突然の気前のよさに首を傾げながらも、めったにない機会だからと夢中で食べた。案の定、彼女たちはたちまち下痢になった。卑弥呼は「急いで食べるからこうなるんだ」と舌打ちするが、嬉しさのあまり、思わず笑顔がこぼれる。治療と称して貫頭衣を下からまくり上げ、触診するふりをして乳を観察した。

このようにして、卑弥呼の罠によって露わにされた女性たちの乳首は、ほとんどの場合、卑弥呼より色が濃かった。わが妻、卑弥呼の乳首は桃色なのだが、彼女はそのことを少し恥じていた。なぜなら、この時代では、乳首は大きければ大きいほど、黒ければ黒いほど性的な魅力があるとされているからだった。猿と人間の間にいるような馬鹿も多かったから、そんな馬鹿でもどこを舐めればよいのかわかるような、わかりやすい乳首こそが優秀な乳首であり、数百メートル先から見て、胸がつるんつるんに見えてしまうほど薄い桃色の乳首には、性的な魅力はないし、女とはみなされない。まったくお呼びでなかったのだった。

わが妻、卑弥呼は焦って誰彼かまわず下剤を飲ませ、自分より薄い色の乳首探しに躍起になったが、残念ながら、どの女の乳首も卑弥呼よりは濃かった。悩んだ末、乳首に黒い刺青を入れようとしたが、邪馬台国の刺青師の技術の低さは隣国にも知れ渡るほどで、参考にと施術に失敗した被害者に乳首を見せてもらったが、乳首が三角形にされてしまっており、卑弥呼は神妙な顔をしながら笑うのを必死でこらえた。どんな色が薄い乳首でも、三角形の乳首よりはましだろう、と思い、刺青はあきらめることにした。

「ねえ、ひさしぶりにどう?」
卑弥呼が自分の布団にぼくを誘った。たしかに最近何もなかったなと思い、卑弥呼の衣を脱がすと、心なしかいつもより色の濃い乳首が現れた。暗闇だから色濃く見えるのかと思い、乳首を口に含むと、たちまち口の中がザラザラして、交わるどころではなかった。
「ペッペッペッ!ちょっと…これは何だい」
「いや…ちょっと土を塗ってみただけだよ」
「なぜそんな…別にそんなことしなくても、ぼくはありのままの…」
「どういう意味?土が塗ってあるくらいでガタガタ言わないでよ!本当に器の小さい男なんだから!」

その夜、卑弥呼の機嫌はとても悪くなり、無実の罪で三人の善良な男女が卑弥呼によって死刑を言い渡された。

わが妻、卑弥呼と魏の鏡

先日、「魏から来た使者である」と主張する者がやってきた。
しかし、どうも怪しい。
「小さな木の船で気が遠くなるような距離を漕いで来た。実際、3回くらい気を失って、そのたびに硬い泡みたいなのが口から出た」
とか言うのだけれど、その割に、着衣は乱れていなかった。
「いやいや、これでも乱れている方ですよ。このへんとかほつれてますよね?」
などと、さも大変な船旅だったことのように言うのだが、隣村から来たようにしか見えなかった。


魏はどんな国なのかと聞くと、楽しいようでいて、楽しくないときもある、広いと思うが、意外に狭くもある、一言で言うと、ちょっと忘れがたい国ですよ、と、どこにでも当てはまるようなことを言うので、ますます怪しい。
男は、これは魏の王からの贈り物である、と、懐から鉄の円盤を取り出した。
「これは鏡といって、水などを見なくても気軽に姿が見えるものなんだ。卑弥呼様に渡せば、とても喜ぶと思う」
と誇らしげだ。
これをやるから、はるばる魏の国から来たので、何か寄こせという話になり、仕方ないので乾いた鮑を3枚与えた。鮑は貴重品なので、3枚のうち2枚は泥を固めて作った偽物の鮑だった。


男が去ってから鏡を見ようと思ったが、男の懐が臭かったらしく、鏡もひどく臭かった。ここまで臭かったら、いくら姿が映るといえども、使用に耐えないし、どんな姿が映っても、醜い印象しか与えることがないだろうから、とりあえず匂いが取れるまで、土に埋めておくことにした。


埋めるときに卑弥呼がぼくのことを呼んだので、急いで卑弥呼のところに行ったら、
「わたしのどこが好きか」
と聞くので、頭がよくて美しいところ、と答え、急いで戻った。埋めた場所に印をつけておこうと思ったのに、どこに埋めたかわからなくなってしまい、鏡はあきらめることにした。使い方も聞かないうちになくしてしまったのは残念だけれど、その後、本物とおぼしき魏の使者がやってきて、丈夫で無臭の鏡をくれた。さすがに本物の魏の使者は長旅のおかげでほとんど全裸状態。彼こそはまさに魏の使者であると信用するにふさわしく、一件落着した。