わが妻、卑弥呼は花粉症になりたガール

わが妻、卑弥呼は花粉症になりたがっていた。
どうやら、一部の人しかかかっていない、最先端の病気を患ってみたくなったらしい。花を見つけると花に顔を近づけ、鼻の内側のじめじめした粘膜に、おしべをこすりつけて、黄色い粉を受粉させ、様子を伺ったものの、まったく変化がない。
「わたしも、春なのに涙が止まらないといって愚痴をこぼしたいものだわ…」
と呟く始末だった。どうやら「幸せであるはずの春という季節に場違いに涙を流している」という状態に趣を感じたようなのだったが、花粉症の発見の経緯について思い出すと、思わず身の毛がよだってしまう。


数年前から、国の祭りなどのめでたい席でも、涙を流している人がいた。毎年春になると泣くのである。卑弥呼の虫の居所が悪い時は
「春なのに泣くなんて、縁起でもない。もう涙が出ないようにしてやるよ」
と言って、首をはねさせたりしたのだった。涙は出なかったが血が飛び散って大変だった。数年経ってはじめて、悲しくて泣いているわけではないということが判明したが、本当の原因については謎に包まれていたので、さまざまな実験を行った。
泣いている人を見つけては小屋に入れて、干すのに失敗して腐ってしまった魚や、本体がこの世にすでにいないということにまだ気づいていない鈍感な蚤がびっしりついた毛皮などを近づけて、涙がひどくなるか実験した。さまざまな有害物質で人体実験を行った結果、どうやら植物、特に杉の花粉が問題だ、ということになった。その年から、縁起の良し悪しの問題ではない、ということで、涙を流している者も生きていけることになった。


ただし、面倒なことに、しじゅう
「ねえねえ、一つ質問なんだけど、わたしは花粉症かしら」
と聞き―たしかに質問は一つなのだけれど、その一つの質問を百回は繰り返しているのだった―考えすぎですよなどと言おうものなら惨劇が始まるので、ちょっと鼻をこすっただけで、取り巻きが
「ああ卑弥呼様、これは花粉症に違いないです。お大事に」
とおだてるようになってしまった。
「えーどうしようかなぁ…」
と、卑弥呼もうれしそうだ。
取り巻きがいるときはまだいい。くしゃみをしたとき、周囲に誰もいないときは、わたしが花粉症でもない卑弥呼に花粉症はつらかろうとねぎらわなければならないので、早く夏がやってこないか待ち遠しい気持ちだけれど、夏になったらなったで、また別の病気になりたがることは容易に想像がついた。