わが妻、卑弥呼と食器洗い機

ご存じの通り、土器というものは、油がこびりついたらなかなか落ちない。しかし、わが妻、卑弥呼のきれい好きは度を越していて、いつも新品の食器を使わないと満足しなかった。それゆえ、食事のたびに土器を焼かねばならず、湿度の高い日などは、焼くのが間に合わず、生焼けの柔らかい土器で食事をとらねばならない場合もあった。鯛ならともかく、ナマコなどを盛りつけた日には、どこまでが土器でどこまでがナマコかわからず、ザラザラした食感に苛立つ羽目になった。

ある日、土器の破片で口の中を切った卑弥呼は、口から血を流しながら、ぼくのところにやってきた。

「もう新しい食器を毎回使うのはうんざり!食器を洗う係を連れてきて!」

自分が新しい食器作りを命じたのに被害者面とは…と思ったものの、口から血を流しながらの要求なら、どんな要求でも呑まざるを得ない。

ぼくが食器洗い係に任命したのは、名もない男だったが、体毛が濃く、体中が毛に覆われていて、誰だかわからなかった。いや、誰だかわからない人間は一人しかいないので、誰だかわからないことで誰だかわかったという方が正確だろう。毛だらけの男を、木船の上に横たわらせて、ぐるぐる回らせた。そこに砂と水と、使用済みの土器を入れた。

最初は勢いよく回っていて、うまく洗えていた。土器ばかりか、木船も作りたてみたいに見えるくらいだったが、翌日、わが妻、卑弥呼の体調が思わしくなく、痰のできそこないのような白い粒が米に混じって入っていたらしく、それが鼻に入った。どれだけ回っても吐かなかった彼が、あまりの臭さに吐いてしまった。船の中は緑色に染まった。彼は食べる物がなくて、道端の草を食べていたようで不憫だった。たちまち彼も土器も汚れてしまい、食器洗い男は、すぐにお役ご免となった。彼はまた、どこかの草を食べて暮らしているのだろう。

とりあえず、柔らかい土器でも吐瀉物のかかった土器よりはいいだろうということで、元通り、新しい土器を使うことになった。

わが妻、卑弥呼の新年のあいさつ

元日にはあいさつをすると言っていた卑弥呼だけれど、実際のところ、卑弥呼以外の者には暦がどうなっているかはわからない。卑弥呼が日だと言えばそれが元日になる。彼女が
「そろそろ今年も終わりね…」
と言いだしたら、皆は竪穴住居の中に乱雑に置いてある干物や木の実、米などを大急ぎで片づけて年越しの準備をする。整理されていない食物たちは、なんだかたくさんあるように思えるが、片づけてしまうと、ほんの一握りしかないという事実が明るみに出てしまい、暗澹とした気持ちになるので、あまり掃除は好きではなかった。しかし年末くらいは片づけをしておかねばという義務感でなんとかするのだが、次の日に卑弥呼が、
「よく考えたら、今年はまだもうちょっとあるわね」
と前言撤回し、国民たちが家に戻って散らかし直すことも多かった。気分に任せて行動すると、ろくなことがないということを最近学んだらしく、今回はすんなりと正月を迎えた。
卑弥呼は寝坊して、薄暗くなってきてから、新年のあいさつを祭殿の下で行った。


「えー今年は旅に出ることにする。自分探しの旅にね。いいかな?」
100人近くの国民がいたが、無反応だった。卑弥呼は、皆が困ります、と口々に言い、いつしかそれが大合唱のようになるところを妄想していたのだが、とんだ期待外れだった。
「えへん…もちろん、わたしだけが出ていくと皆はたちまち困ってしまうだろうから…困るだろう?」
国民たちは先ほどの無反応について速やかに反省したらしく、今回は
「困ります」
と異口同音に返事をした。卑弥呼は満足そうに
「そうね…みんなでいっしょに自分探しの旅に出ることにしましょう。集団で旅をしながら、一人一人、自分を探すの。どうかしら」
国民たちは黙っていた。今まで耕した畑や田圃、何度も指を切りながら完成させた竪穴住居を打ち捨てて旅に出てしまうことで、かえって自分を見失いそうだと思ったが、逆らう気にはなれなかった。こういうときは、適当にうなずいておけば、いつしか忘れるに違いない、と期待していたが、実際、翌日には忘れており、国民を挙げて遊牧民のように出ていくようなことにはならなかった。

わが妻、卑弥呼の起床時間が遅すぎる件

年が明けたのに、相変わらず卑弥呼の朝は遅かった。
年末に、
「元旦は早朝から決意表明などをするので絶対に早起きして集合、集まらなかった者は煮て肥料にする」
と言い放っていたというのに。彼女は揺すっても絶対起きることがない。


単に振動を与えただけでは物足りないと思っているのかもしれない、体を前後に揺すられるだけで機嫌良く起きてしまうなんて、邪馬台国の王を名乗るには安すぎると考えているのだろう、と思って、普段は飾りとして置いてある銅鐸を鳴らしてみた。飾り用の銅鐸なので、魚の内臓を連想させる濁った音が出るのだけれど、その不快な音に驚くこともなく、彼女は目を閉じたまま微笑みを返すだけだった。


人間の体というものは不思議なもので、連続して九時間以上眠ると、「もうこの体は終わりだ」と体自身が判断するらしく、徐々に腐り始め、ほんのりと死臭が漂い始める。卑弥呼は起きているときは神経質で、奴卑とすれ違ったときの生臭い匂いを、自分の匂いではないだろうかと誤解して、異臭を放つ奴卑とすれ違うたび「臭くないか」と尋ねてくる。正直なところ、肉を大量に食べ、長時間寝た時などはたしかに臭いのだけれど、もしそこで正直に返事をしてしまうと、いっそう質問の頻度が高くなることが予想され、
「臭くないよ」
「本当なの。前はわたしのことを臭いって言ったじゃない」
「いや、今思うと、あれはぼくの思い過ごしなんだろうと思う」
というやりとりが必要になる。だから、どれだけ鼻が曲がりそうな悪臭をわが妻が放っていようが、「臭くない」と答えることにしている。それはそれでぼくにとっては好都合かもしれない。なぜなら、ぼくの鼻は少し曲がっていて、臭い妻といっしょにいたら逆方向に鼻が曲がることで補正され、まっすぐな鼻になるのではないかと期待しているからだ。


話が横道にそれてしまった。ぼくの鼻がいくら曲がっていても歴史には何の影響もない。音や振動では決して起きようとしない彼女は、自分の腐りかけた匂いを察知して、ようやく目をこすりながら欠伸をする。彼女は毎朝、死の淵に立ってからでないと起きることができないのだった。


彼女が起きない理由として挙げているのは、ありがちだけれど、「低血圧だから」という理由で、ではそれを直すために、猪の血でも何でも、お好みの色と匂いの血を探してきて、それを注入すれば血液の量が増え、血圧が上がるのではないか、生臭いのが嫌ならハーブを混ぜたりすればいいじゃないかと言うのだが、それは絶対にいや、と言う。血色がよくて誰よりも早起きするのは下品な女のすることだと思っているらしく、アンニュイに昼ごろに起きたいようだった。それが彼女らしさの証だという。しかし、首長のアンニュイな起床のせいで、隣の地域の野蛮人たちの侵攻を許してしまったことは一度ならず二度三度とあったのだった。